伝統芸能への追憶
■ 式三番との出会い
山側に陽が傾きかけた京都盆地。東山の美術館から大文字山に向かい、大通りを横切り、ようやく観光客の姿が少なくなる頃、私は誰かに見られている気がして振り返りました。もう20年以上も会っていなかったその旧友は、昔は民家だったはずの軒の低い木造住宅を改築して今は雑貨屋を営んでいます。
このあたりも最近は観光客が多くなった。
そう彼女は言うと、遠慮しながら亡くなったご両親の話を始めました。
陽がすっかり落ちた頃、私の祖母の話になりました。
三番叟(さんばそう)が忘れられない。― 彼女はそう言うと、私に肩越しに目くばせをしてから、視線を上にやり、扇を広げる手真似をして見せました。
祖母が愛した三番叟という能楽のことを知らない自分が恥ずかしくなりました。三番叟は式三番の一種、伝統芸能です。
大阪は船場育ち、商家の娘だった祖母は芸事が好きで能を習っていました。祝い事があるたび披露するのです。
私の記憶の中にある光景は、金と黒、赤の色の入った派手な衣装と大げさな動作だけ。
木製の古くて軋むドアを閉め、彼女と別れた後の帰り道、祖母の残した記憶をたどりました。
三番叟イメージ
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■ 雅楽 豊栄の舞・浦安の舞
祖父もまた、芸能が好きな人でした。10歳の頃、私は気が付くと祖父のすすめで神社に奉納する舞の練習に明け暮れていました。白拍子の装束、赤い袴、羽衣をまとい舞を奉納したのです。
雅楽の相容れない和音の響きさえも私には懐かしい。
雅楽・舞イメージ