廃線探訪 北軽井沢駅

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Fe@NJです。こんにちは。

正月は、オールシーズン リゾートの群馬県長野原町の北軽井沢で過ごしました。

北軽井沢といえば、浅間山!

①ホテルのベランダから望む「紅浅間」!

北軽井沢の中心地に、1962年(昭和37年)に廃線となった「草(くさ)軽(かる)電気鉄道」(以下、草軽電鉄と略記)の「北軽井沢駅」の遺構が保存されています。

②北軽井沢駅舎(北側)

善光寺を模したそうだ。後述の通り、「法政大学村」との関連でそのイニシャルの「」が欄間に並んでいる。また、「ポケモンGO」のジムが併設されている。

草軽電鉄は、著名な二大観光地の長野県軽井沢町と群馬県草津町の間、55.5kmを2時間半~3時間で結ぶ路線として賑わっていましたが、1945年(昭和20年)の国鉄(現在はJR)長野原線(渋川~長野原)(※)の全通や、その後のモータリゼーション・台風の被害等の影響で、廃線を余儀なくされました。

※その後、長野原線は吾妻(あがつま)線に、長野原駅は長野原(ながのはら)草津口(くさつぐち)駅に、それぞれ改称。

S・・・軽井沢G・・・草津

この遺稿の説明板には、以下が記されています。

『噴煙を上げる浅間山を眺めながら、温泉や観光を楽しむ多くの人々が草軽電鉄を利用し、沿線地域の経済発展に大きな影響を与えました。昭和の初め頃、この周辺に法政大学村が誕生し、関係者によって駅舎が新築され草軽電鉄に寄贈されました。

鉄道は、相次ぐ台風の被害や自動車の普及に伴い、1962(昭和37)年に廃線となり、この北軽井沢駅舎は、今でも当時の姿をとどめている唯一の駅舎です。2006(平成18)年に国の登録有形文化財に指定されました。』

④現在の駅舎
(電気機関車の実物大模型も設置。

パンタグラフの形状が特徴的である。)

⑤現役時代の駅舎
(④の左下の説明板の写真を拡大したもの)

⑥列車の精密模型

編成は、「電気機関車+貨車1輌+客車1輌」が標準だったようだ。

⑦当時の出札所(しゅっさつしょ)(切符売り場)の風景

自動券売機が存在しない時代はこうだった。

右端の青字に白文字の板は時刻表。

 

私は、廃線前の草軽電鉄を知る由も無いのですが、昭和中期を味わえる感慨深い「小さな旅」でした。

 

それではHave a nice trip!